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200周年・高田屋嘉兵衛が解決したゴローニン事件

 written by 管理人 プロデューサ [日露関係] 投稿日時:2011/11/10(木) 09:28

司馬遼太郎作「菜の花の沖」でお馴染みの高田屋嘉兵衛が解決に奮闘した「ゴローニン事件」から、200周年を迎えます。

ゴローニン事件とは、司馬遼太郎ファンなら必ず読んでいると思いますが「菜の花の沖」のテーマとなった事件です。
1811年ロシアの軍艦ディアナ号の艦長ゴローニンを松前藩が国後島で拘留し、1812年高田屋嘉兵衛が捕虜となってリコルドとの信頼関係と協力によって1813年に両者が釈放されるまでの一連の事件のことです。
1811年から1813年にかけて起きた事件なので、今、まさに200周年なのです。
 
司馬遼太郎は高田屋嘉兵衛を非常に高く評価し次のような話をしています。
「江戸期の人達にもし会えるのなら、まっさきに高田屋嘉兵衛に会いたい」
「江戸時代を通じてだれがいちばん偉かったでしょうか。私は高田屋嘉兵衛だろうと思います。それも二番目が思いつかないくらいに偉い人だと思っています。今生きていても、世界のどんな舞台でも通用できる人ですね」
などと発言して絶賛します。

年表をご覧いただくとロシアは、帝政ロシア・ソ連・現ロシア連邦とともに高田屋嘉兵衛ら当事者3人を一貫して評価してきたことがわかります。


主な出来事
1811年 ロシア軍艦ディアナ号が国後島へ来航。ゴロウニン艦長ら8名を松前藩が拘留
1812年 嘉兵衛が国後島沖でディアナ号に拿捕され、カムチャツカへ連行される。
抑留生活とリコルドとゴロウニン釈放へ向けた協議が開始される
1813年 嘉兵衛、リコルドとともに国後島に入港。箱館でゴロウニンを乗せてディアナ号出航。
ゴロウニン事件が解決
1816年 ゴロウニンの日本幽囚記が刊行。ヨーロッパでベストセラーに
1827年 嘉兵衛没
1854年 開港された箱館でプチャーチンが遺族への贈り物を申し出る
1861年 ニコライ司祭が箱館に来日し、遺族へ肖像画を渡す
1926年 嘉兵衛百年祭にソ連大使・領事・通商代表が玉ぐし奉納し、焼香する
1958年 高田屋嘉兵衛銅像除幕式にイワノフソ連大使館参事官が出席
1959年 フェドレンコ駐日ソ連大使が高田屋嘉兵衛銅像を訪ねる
1987年 高田屋嘉兵衛とゴロウニンの七代目子孫がソ連で174年ぶりの再会
2002年 ペトロパブロフスクカムチャツキーに高田屋嘉兵衛とリコルドの銅像を建立
2006年 カムチャツカ国立公園の3つの山にカヘイ・リコルド・ゴローニンと銘々される

ロシアの立場で事件を見ると、ゴローニン事件が起きていた1812年6月にロシアへ侵攻したナポレオン率いるフランス軍は、ちょうどリコルドが高田屋嘉兵衛を捕らえた9月にモスクワに進軍し、街を焦土化していたロシア帝国存亡の危機の頃でした。

有名なナポレンが最終的には冬将軍に負けてしまったあの戦争です。

ロシア帝国の正に存亡の危機にフランス・日本との2面戦争となる事態から、高田屋嘉兵衛がロシアを救ったと言えるのです。
歴史の評価というものは、人それぞれ多様な評価があるものですが、ロシア語のWEB上でも高田屋嘉兵衛ら3人の功績を否定的に考えている記述は全くありません。

日露共通の評価としては、高田屋嘉兵衛とディアナ号副艦長リコルドの信頼関係が構築出来たことによって、ゴローニンの命と日露開戦の危機が救われました。
「相互の信頼関係」とは、今まさに日露間で一番欠けているものです。

また、北方領土は、高田屋が開発した漁場であり高田屋のテリトリーでした。
ゴローニン事件の発生は国後島であり、北方領土問題の元祖とも言えます。


高田屋嘉兵衛・ゴローニン・リコルドについてのリサーチ・企画・コーディネートは
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creative@consultant-ru.com




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